租税法律主義・公平主義と今後の税理士の役割
北海道税理士会 高野 真人
一、はじめに
平成二三年二月一八日、租税裁判史上、類をみない巨額還付額の判決が下された。海外スキームを利用した贈与税の租税回避事件である。還付された本税及び無申告加算税は一三三〇億円にも及びそれに伴う還付加算金も四〇〇億円となり、延滞税の還付も含めると約二〇〇〇億円の還付と空前の額の還付事案となったことから、租税の専門家のみならず一般のニュースでも多く取り扱われ話題となったのである。
二、事案の概要
平成一二年改正前の相続税法においては、贈与時点で受贈者の住所が国内にある場合に贈与税の納税義務を負うことになっており、また、国外に住所を有する場合には、いわゆる制限納税義務者として取得した財産のうち国内財産のみに課税することになっていた。
今回の裁判は、その当時の相続税法の規定を利用し、A氏から、そのA氏の子であるB氏に国外にある財産を贈与する際、あらかじめB氏の住所を国外に移し、贈与税の課税を回避しようとした事案である。B氏は、平成九年六月から平成一二年一二月まで、C社の香港駐在役員として香港に滞在し、その滞在期間中である平成一一年一二月に父A氏が所有するオランダ法人の出資口の贈与を受けた。B氏が国外財産であるオランダ法人の出資口を譲り受ける際、国内に住所を有していたのかが今回の争点となった。
三、裁判の争点と判決
今回の裁判の争点は明確であり、贈与当時において、B氏が国内に住所を有していたか否かである。「住所」の意義については、民法第二二条(裁判当時民法第二一条)において、「各人の生活の本拠をその者の住所とする」と定められているが、税法上、特に定義を設けていない。住所は納税義務などを決定する重要な概念のひとつであるにもかかわらず、税法上規定されていないため、たびたびその解釈について争いが生じている。そのため、住所についてどのような概念で解釈するかは個々の解釈にゆだねるよりないが、このような税法上明確な規定を置かれていない概念の場合、私法上の概念を借用し同一の意義に解するのが一般的な考え方であろう。すなわち、財産権の侵害規範としての性格を有する租税法の下、法的安定性、予測可能性を考慮しても独自に解釈するには問題が生じるからである。
この住所の認定について最高裁は、B氏は香港に約三分の二の日数を滞在していることから客観的に「生活の本拠」は国外にあり、贈与税を課すことはできないとし、納税者勝訴の判決を言い渡した。
四、租税法律主義と租税公平主義
我が国では、憲法二九条において、個人の財産権は保護されている。租税は国家の成立には必要なものであるが、租税を課すには財産権の侵害とならないよう、法律の規定が必要であること(課税要件法定主義)、その規定は法令上明確であること(課税要件明確主義)、強行法規であって課税要件が充足されれば減免の自由なく必ず徴収されること(合法性の原則)、法律に定める手続きが必要なこと(手続的保障原則)が挙げられ、いわゆる租税法律主義が採用されている。(憲法第三〇条、第八四条)
今回の裁判では、住所の事実認定についての争いであるが、よく、税法は形式ではなく実質であるといわれる。これは、各税法が規定する実質所得者課税の原則の影響を受けているものと思われる。しかしながら、この“形式ではなく実質である”との考えには違和感がある。すなわち、法の評価をする場合における事実認定で重要なのは“実際はどうだったのか”ということであるからである。実際の事実とは違う評価において申告がなされれば、当然であるが、そこに“形式”や“実質”の概念を持ち込むまでもなく違法であるし、確定している実際の事実が、それが仮に租税を回避する目的であっても“実質”という名のもとに別のストーリーを作り上げ課税をするのは許されないというべきであるからである。前述した租税法律主義の考えから、租税は法律要件に合致していれば、いかなる理由をもってしても課税を免れないのであるし、また、法律要件に合致していなければ、いかなる理由をもってしても課税できないということになろう。今回の事案では、贈与税の回避も多分に考慮されての行動であろうが、事前の事実として生活の本拠を意図的に国外に移転しようとしているため、事実認定を覆すのは困難であるし、前述のようにその行動が租税の回避を目的としたものであっても、実質という名をもって事実認定を変えることもまた困難であると言わざるを得ない。
今回の判決は租税の専門家においては、租税法律主義に基づく考えから妥当であると考える方が多いことであろう。しかしながら、一方で、一般の国民の感情からすれば、なぜ、税金が課税されないのかとの疑念を持つ者も多いことは容易に想像がつく。租税法律主義と並び、租税法の重要な概念のひとつに租税公平主義がある。租税は、質的担税力、量的担税力などを考慮し、国民一人一人が等しく負担しなければならない。今回の事案のように、本来担税力を有する者が法の予定しない行動によって、その租税の回避が行われれば、公平性を著しく欠くことになり、真に国民が納得のできる税制となることは難しくなるといえよう。
五、今後の税理士の役割
我々、税理士は、税理士法第一条において、「税理士は、税務に関する専門家として、独立した公正な立場において、申告納税制度の理念にそつて、納税義務者の信頼にこたえ、租税に関する法令に規定された納税義務の適正な実現を図ることを使命とする」と規定され、我が国唯一の租税の専門家であると共に、租税という国家の成立に重要なものを取り扱う専門家である。また、税理士法第四九条の一一において、「税理士会は、税務行政その他租税又は税理士に関する制度について、権限のある官公署に建議し、又はその諮問に答申することできる」とされ、税理士は税理士会を通じ税制等に関する建議権を有する。これは、税理士は単に法令で定められた租税手続きの運用を任された専門家にとどまらず、税制について意見し、あるべき租税の姿を追求することもその使命として与えられた職業であるということができよう。
今回の裁判の最高裁判決の補足意見として、この事案について課税できないことは、国民感情から考え納得できないものであるが、租税法律主義の見地から課税することはできず立法にゆだねるしかない旨を意見している。国民感情を考慮しつつも租税法律主義から納税者の主張を認めたのであり、これは、極めて異例のことである。
財産権の侵害規範としての性格を有する租税法において、租税法律主義の考えは維持されるべきであろう。よって、このような場合の解決手段は、やはり立法でしかない。しかしながら、前にも述べたとおり、我々、税理士は、今回の裁判を妥当な判決であるとの評釈にとどまるならば、税理士に与えられた使命の一部を果たしているにすぎない。すなわち、国民が納得できる税制はどのようなものであるか、あるべき税制はどのようなものなのかも論議していかなければ、真に租税の専門家としての責務を果たしたことにはならないといえるのである。
六、おわりに
今後、国際化がますます進み、国際スキームを利用した租税回避が行われることも増えていくものと想像される。そのようなスキームを利用できる高度な知識を有する納税者と一般の庶民の納税者、ここに大きな不公平を生むことは避けなければならない。
“あるべき税制の姿を追求し国民の信頼を得る”それは、租税の専門家として、私たち税理士に与えられた使命のひとつなのである。